2017年2月26日日曜日

超絶美味い「さかたのおやき」さかた菓子舗




2014年の夏休みのこと。
家族旅行で白川郷を目指す車中、松本インターからの道すがらハンドルを握る僕は一瞬、道の左奥に何か素敵な民家を見たのです。
(おやきの看板があったかも?でも、民芸品のお土産屋さんかもしれないなあ。)
その程度だったのですが、どうしてもその佇まいが気になりしばらく走ってから狭い道をUターンして戻ったのです。

松本にあった頃の「さかた菓子舗」

そこは民芸品のお店ではなく、おやきの専門店、移転前の「さかた菓子舗」だったのです。その時は僕たちにとって「ただの通りすがりの店」でしたから、おやきを一人ひとつずつだけ買って車に戻りました。走り始めるとすぐに僕はまだ温かい「ひじき胡桃和え」のおやきを運転しながら頬張ったのです。
「うんま〜!何これ!すげ〜な〜、これ!」
あまりのうまさに二度見。本当に驚きました。皮も中身も今まで食べたおやきとは全くの別物だったのです。皮は長期熟成のバゲットのようなグルテンの弾力があり、具は皮を割れば弾けて飛び出すかのようにぎっしりと詰められていただけでなく、味付けも完成された料理の様です。そして、何故か温かなもてなしの心を感じてしまうんですよ。
「こんなに美味しいならもっと買えば良かった!」
妻もその味を絶賛しました。
その後、この旅行中、他の作り手のおやきを見つける度に食べましたが「さかたのおやき」は 別格でした。

旅行から戻り調べたところ、「さかた菓子舗」には支店もなく、お取り寄せも出来ないお店。つまり、松本まで行き現地で買うしかないのです。それで、僕たちは、旅行中に立ち寄るのではなく、「さかたのおやき」を買うことを目的として2度、東京から車で出かけました。ミシュランガイドの三つ星の条件は『そのために旅行する価値がある卓越した料理』とされますが、僕たちにとっての「さかたのおやき」は正にこれだったのです。

そんな話を大学時代の親友に話したことがあるのですが、つい先日、そのU君から携帯に連絡が入りました。
「おっ、U!どうしたの?今どこ?」と僕。
「どこだと思う?へへへ、さかたのおやき。」
彼は「さかた菓子舗」が松本から安曇野に移転したことも教えてくれました。
「おやき、送ってやるよ。お金なんかいいよ。」とU。
「え〜っ?まじか〜!ありがと〜、U!今度から会う度、毎回ご馳走するね!」
嬉しさのあまり、僕はこう電話口で大声を出していたのです。
電話を切ってからも興奮は収まらず、いや〜、何て素晴らしい人物なんだ。やはり、金融機関の支店長を任されるまでにスルスルと出世してしまう人物は違うなあ・・・などと感心してしまいました。
でも、しばらく経ってからから気付いたのです。


もしかして、さっき、俺、「今後の飲み代は毎回持つ」って言っちゃわなかったっけ?
ははは・・・(冷や汗)
いや、冗談だってば、って、もう遅い?

オフィスプロモ(株)代表取締役 古荘洋光




U君ありがとう。
扁平じゃなくてコロンとしています。
電子レンジで温めてからオーブントースターで熱々に!
「切り干し大根」と「小倉あん」
「野沢菜」と「ひじき胡桃和え」





2017年2月1日水曜日

ワインバーO’hyoi’s(オヒョイズ)






本日、おヒョイさん(藤村俊二さん)が1月25日に亡くなったというニュースが流れた。・・・寂しい。

ニュースでは「西遊記」や「ぴったしカン・カン」、「ぶらり途中下車の旅」のナレーションなどが紹介されていたが、僕の印象は全く別のものだ。
僕にとってのそれは、ワインバーO’hyoi’s(オヒョイズ)のオーナーとしての藤村俊二さんだ。そこへ行ったことのある人ならぴんと来ると思うが、ニュースで使われた肖像写真の多くは藤村俊二さんが経営していらしたO’hyoi’sで撮られたものだ。この店、藤村俊二さんがイギリスにいらしたときに惚れこんだ大工に一度現地で家を建ててもらい、それをわざわざバラして船で運んだという。そして、再びイギリスの大工を日本に呼び、南青山のビルの中の空間に組み立ててもらったのだ。家具調度品、照明、ドアノブもすべてイギリスから運んだもの。そして、藤村俊二さんと交友の深い俳優、著名人などが数多く来店した。店の奥に向かうと左側にソファーの置かれた個室があり、そこにはそれこそ往年の銀幕のスターが揃って談笑していたものだ。幸運なことに僕が伺う夜には藤村さん自ら我々のテーブルまで毎回ご挨拶にいらっしゃり、帰り際にはお見送りまでしていただいた。ほんの一言。それに誰もがそれだけでファンになってしまうであろう微笑。フランスでパントマイムを学んだと伺ってはいたが、実父が有楽町の映画館スバル座やオリオン座などを持っていたスバル興業の社長だったというのは今日まで知らなかった。なるほど、そうだろうなと思う。店の趣味も微笑も。

僕が通っていた時代、あの時代、僕はこれはと思うひとをO’hyoi’sへ案内した。価値のわかる人もいればわからない人もいた。それでも良かった。僕は店を出るとお相手を助手席に座らせ、ほろ酔いでハンドルを握った。外苑西通りの緩やかなカーブに沿って車のライトが滲みながら流れてゆく。風が頭を撫で、都会なのにあの一角ならではの広く高くなった空をエキゾーストノートが渡っていく。あの店の床は木材が良かったから革底で歩くと心地よく響いた。あの靴音、良かったなあ。僕はせわしなく運転をしながらも、しばらくは静かな店の余韻を楽しんでいた。

8ミリ映画のスローモーションでも見ているような気分で、あの頃を、今夜は想い出してしまった。

おヒョイさん、ごちそうさまでした。ご冥福をお祈りいたします。


オフィスプロモ(株)代表取締役 古荘洋光