2011年3月12日土曜日

東日本大震災

 本日、多くの方々より「おめでとう」と言われた。息子が卒園式を迎えたのだ。
いただいた花を、昨日の東日本大震災で破損した花瓶に入れた。
不幸に遭われた方に心よりお見舞い申し上げたい。私はこうして何の不足もなく生活している。申し訳ない気持ちになる。  私は高円寺の高架で地震に会った。何度もやってくる激しい揺れの中、自分が死ぬことを想像した。約20分後、町に下りても携帯は繋がらず、暫く並んだ後、公衆電話で家族の無事を確認することが出来た。町を歩くと古いビルの外壁がごっそり落ちて骨組みが見えていた。食器店では可愛そうに陶器の破片で床が一杯になっていた。コンビニでは赤ワインが割れて床が真っ赤に染まっていた。電気店の店頭に人だかりが出来ていて街頭テレビのようだった。テレビ画面を人の頭越しに覗くと宮城の悲惨な光景が目に飛び込んできた。高校生らしき女の子が「夢を見ているようだ」と友達と会話をしていた。あるところでは道に水が噴き出していた。新高円寺まで歩けばそこから吉祥寺行きのバスに乗れるのではないかと考えたが、辿り着いた新高円寺で何本待ってもバスは一杯で乗れそうになかった。覚悟を決めて青梅街道を田無方向へ歩く。皆が同じ方向へ黙々と歩いていた。いつか見た「宇宙戦争」という映画のようだった。荻窪まで歩き、そこからバスを4本乗り継いで家へ辿り着いた。
  家はいつもの場所にあり、倒壊もしておらず、明かりが灯っていた。妻と息子が迎えてくれた。怪我もしていない。部屋の様子はいつもと違うがこのふたりに変わりはなかった。「良かった。」
 家を見回すと、家具の位置がずれており、本が床に散乱していた。洗濯機の上に設置してあった乾燥機が床に落ちていて壁紙が剥がれていた。ワイングラスなどの食器が割れていた。花瓶がデザインの上部一段分短くなるように割れていた(写真の花瓶)。妻は、「ここが壊れた、ここも壊れた」と言っていたが、私はこの時は、何が壊れていようとも平気だった。

 家族が無事だった。私にとっては、それがこの日のすべてだった。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光