2011年12月25日日曜日

Merry Christmas


2匹の生きているオマールエビを戦わせる息子。彼にとっては、バルタン星人のソフビ人形の様なものかもしれません。しかし、子供とは何と残酷な生き物であることか。

茹でたてのオマールエビ、自家製ローストビーフ、タラバガニ、スパークリングワイン、コート・ド・カスティヨンの赤、ドイツのアイスワイン、シャンメリー、息子と妻の作ったケーキ、それと、息子が学校で作った紙粘土の「いきものケーキ」。
姿は悪いが、味は中々のものでトップスのチョコレートケーキそのものだ。それ以上に胸のあたりがくすぐったいような、幸せな味がした。
クリスマス・イヴの翌日は、食べ残しをバターで炒めてソースアメリケーヌを作った。これって家族だから出来るんだよなあ。

生きたエビさんに失礼のないよう、全部、大事にいただきました。とても美味しかったです。


オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年11月23日水曜日

どんぐり

息子が小学校でリースを作るために松ぼっくりが必要だという。小金井公園のセンターで「この木なんの木」という案内図をもらい二人で松林を目指す。クロマツの立派な松ぼっくりをビニール袋にいっぱい集めた。その帰り、ひとりしゃがんで熱心に何かを拾う女の子を見かけた。近づいてみると椎の実(どんぐり)だ。女の子は食べようとして集めているわけではないのだろうが、自分が子供の頃これを炒ったのが好きだったのを思い出した。息子に「旨いぞ」と教えひとつかみほど持って帰った。炒ってみると香ばしいにおいが立ち込めた。ぱちっと2度程はぜたのを確認して熱々のところを殻をむいて食べてみる。うん、そうそう、これだ、懐かしい。香ばしく、カリッとしてほのかに甘い。息子に食べさせると恐る恐る口に入れてすぐに吐き出してしまった。どうやら息子は私ほど強くは食に対する探求心を持ち合わせていないらしい。一緒に出した干し葡萄の方が好みの様だ。私はといえば、合わせたマディラが甘過ぎた。先週末に出したクリスマスツリーのライトの点滅を見ていると悪酔いしそうになる。この一杯でやめておこう。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年10月23日日曜日

キャビアはお好き?

先日、ランプフィッシュの卵を食べ、後味(だけではない)が悪かったので、今夜は正しくチョウザメのものを頂いた。現在のカスピ海では過去の乱獲により実質的にチョウザメの禁漁らしく、昔の私の様に一度にベルーガ、セブルーガ、オシェートラを食べ比べる訳には行かない。現在、主に手に入るのはアメリカ産のバトルフィッシュ(チョウザメの一種で三越ではセブルーガとほぼ同一との説明があった)、または養殖のチョウザメなのだ。今回はアメリカ産を試す。食卓には他に、シャンパーニュの代わりにパーカーポイント高得点のメキシコ産のスパークリングワイン、そして、キャビアに合うとされるフレッシュなチーズ「ブリア・サヴァラン」を初め、ロジュレ(白カビチーズ)、ピエダングロア(ライトなウォッシュ)。これに、ソーセージとサラダ。メゾンカイザーとドミニクサブロンのパンが並ぶ。
さて、アメリカ産のキャビアは、小粒ではあるがわずかに緑がかった薄いグレーの中に黒い点々が見える姿も、舌触りも、独特な香りも確かにキャビアであった。キャビアに合うとされるものはさまざまにあり、ブリア・サヴァランの他に、ブリニ、スモークドサーモン、ゆで卵など、色々言われるが、要は、紙の外箱に比べて過小でさらに上げ底極まりないガラスの容器からもその貴重性は明らかなのであるが、いかにその量を増やして大勢の客に食べさせるかということなのではないだろうか。私は、何に合わせてもその真価が分かりにくくなるばかりだと思う。私の考える一番の食べ方は、勇気を出してえいやとスプーンですくって一口に頬張り、卵の粒の決してプチプチとはじけず何ともだらしのない印象を伴いながらつぶれてゆく感触、そして、グニュグニュべたべたと舌にまとわりつく愉快でない感触を味わい、その感触そのままにキレの無い味と生臭い魚の油の匂いに集中するというものである。ここまで読んでいただいてすでにお気づきであろう。そう、私はちっともキャビアなんて好きではないのだ。・・・と言いつつ、私が無理に食べさせようとしたのが原因で「キャビアなんて不味いから要らない!」と言って小学1年生の息子が暴れテーブルに散乱したキャビアを一粒残らず拾って食べてしまうのが私なのだ。だって、高かったんだからさあ。布巾でサッサッてわけにはねえ。ですよねえ。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年10月13日木曜日

ワインの深淵

自分の誕生日にはフォアグラとソーテルヌと決めていたので今夜はその通りにした。他にエビグラタン、ランプフィッシュの卵、サラダ、バゲット、チーズ、タルトタタン、アールグレイ、それに嬉しいバースデイソング。成城石井で買ってきたフランス産ガチョウのフォアグラは今ひとつ満足感に浸れない代物で、これなら、自分でフレッシュのフォアグラブロックから作った方がずっと美味い。クリスマスにはまた作ろうと思う。

ところで、美味と美酒の組み合わせは色々言われるが今日の組み合わせは本来なら良いものであろう。有名な生ガキとシャブリ、キャビアとシャンパーニュという組み合わせは、単に高級な物同士の組み合わせでしかないし、むしろお互いを不味くしてしまう。この「食事に何を合わせるか」という話だが、一流ソムリエとされる田崎氏の持論に私は猛烈に反論したい。彼は、食材に含まれるエッセンスと同じ要素を持ったワインを合わせるのだ。例えば、カエルに石灰の様な香りがあるから、合わせるワインは石油香のあるリースリング、というのだ。これは、一見理論的に聞こえるし、説得力がある。しかし、これは客に薦めた高いワインに反論されないための彼なりの理論武装だと思う。私の意見は全く違う。「マリアージュ」というのは、全く別の種類のものが合わさって初めて生まれるものというのが私の考えだ。人間同士の「結婚」もそうかもしれない。それでは、濃厚なガナッシュのデセールに合う飲み物は何か。田崎氏の理論からすれば濃くて甘いココアということになろう。さて、それはいかがなものか。では、私の正解は何か。砂糖抜きのエスプレッソだ。もっと簡単に言おう。餡団子にお汁粉を合わせるか?緑茶でしょ?「全く違う者同士が出合いお互いを高めあうこと」。それが私の考える「マリアージュ」だ。そうでなければ、神は何故違う人間をこんなにも創造したのか。(私は無神論者なのだが。)

バブルの時代、ワインブームというものがあり、私も随分と飲んだ。私は何かに嵌ると、熱中し、その分野の頂点を体験し、納得し、冷却する。私のワイン探求は初めは名もなきボルドーシューペリュールから始まった。この時、今まで飲んでいたものとは全く違う風味、葡萄由来では無いと思わせる味に驚いたのだ(今では解明しているが)。そして、ボルドー、ブルゴーニュ、ソーテルヌに興味が湧き、しばらくバローロやバルバレスコあたりをうろうろとしてみたものの、ボルドーに戻りポイヤックやポムロールに捕まり、その後、一気に有名ワインを飲み比べた。ラトゥール、トロタノワ、イガイ、ディケム、クリュグ、ドンペリニヨン、ラフィット、パルメ、オーブリオン、ムートン、エシェゾー、グランエシェゾー、シャトーマルゴー、DRCリシュブールとロマネサンヴィヴァンとラ・ターシュ、ペトリュース、モンラッシェ・・・。この頃の私の夕食は、ビゴのルヴァンというパン、バター、ワイン一瓶、以上。その後、倒れ込むように就寝、という日々だった。
一番美味しいと感じたのは赤はシャトー・ラトゥール、白は、ドメーヌミシュロ・ムルソー・ジュヌヴリエール、飲むのに一番緊張したのは元町のフレンチレストラン霧笛楼で飲んだ1940年のボルドー・マルゴーのローザンガシイだ。コルクを抜くソムリエの手が震えていたのを今でも思い出す。

しかし、しかしなのだ。最近、チーズは同じ銘柄であっても、レストランで最高の熟成具合でいただくのと、スーパーで気軽に購入したのとでは全くの別物(カスタードクリームと消しゴム、香水と塩水ほどの違いだ)ということに驚いた事をこのブログにも書いた。だとしたら、私が飲み尽くしたと思っていたワインは本当の味だったのだろうか?私は思う。ワインは生まれ、よちよち歩き、成長し、成熟し、枯れ、死ぬ。それも同じボトルの中で。おそらくは、最高の輝きを見せるのは一瞬だろう。多くの女優がそうであるように。
開高健「ロマネコンティー1935」を読みながら、私はそこに登場する最高のワイン、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティーのラ・ターシュを飲んだ。その時は、そこに正に書いてあるにもかかわらず、思いもよらなかったのだが。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光







シャトー・ムートン・ロートシルトは毎年異なる画家によるラベル(1973年ピカソ、1988年キースヘリング等)が有名だが、この1993年のアートは アメリカでは販売の許可が下りなかった。幼児との性交渉を想起させるというのがその理由で、この年、アメリカでのラベルは白紙となっている。私がラベル買 いした唯一のワインだ。ムートンでは他に、1979年シャトームートンバロンフィリップ、1980年シャトームートンロートシルト、1993年ルセカンド ヴァンドムートンロートシルトをいただいた。繰り返し試したのは感動がなかったからだ。その名声の在りかを確かめたかったのだが、しかし、私には最後まで 見つけることができなかった。私には広告に長けたブランドをより厳しく評価する癖があるのかもしれない。





2011年10月9日日曜日

死の朝

ペパーやガーリックなど数種類のソーセージ、ラディッシュなどのサラダ、フルーツ、LE GROTTE REGGIANO LAMBRUSCO ROSSO SECCO(イタリアの赤のスパークリング)、チーズ数種類。此処の処、こんな食事が多い。チーズを美味しく食べるためのメニューなのだ。今宵のチーズは、ピエール・ロベール(写真左)、クロミエ・サンジャック(右)、そして、リヴァロ(中央)。
白カビのチーズに嵌り、少しずつ癖のあるチーズへ進んできたので、そろそろ強い風味のウォッシュが再び食べられるようになっているのではないか?と考えたのだが・・・。リヴァロはこのタイプのウォッシュだ。
私には、この10年間食べられないでいる物がある。それが、オレンジ色に熟成が進んだウォッシュチーズなのだ。それには、訳がある。オレンジ色に熟成したウォッシュチーズを口に含むと、私の前から楽しいはずの食卓が消え、冷たく暗く悲しい風景が見えてくる。それは、肝臓と腎臓を患い亡くなった朝の父の部屋だ。およそ10年前の真冬の朝、電話に出ない父の部屋をひとり訪ね、何度呼び鈴を押しても返事がなく、どうしようもない絶望的な予感の中、私は前の晩に本人から預かった父のキーを恐る恐る鍵穴に入れた。マンションの鍵の開く冷たく大きな音が響く。ドアを開け、靴を脱ぐ。カーテンが引かれたままの真っ暗な中、何度呼びかけても父からの返事はなかった。カーテンを開き、ベッドの方へ進むと、眠っているかのような父がいた。頬は冷たくなっていたが、まだ、布団の中は温かかった。救急車が到着するまで、父の顔を抱きしめ、懺悔するように話しかけた。
その時の匂いが今でも忘れられない。
救急隊員から父の死を告げられた。もちろん自分でも分かっていたのだ。父の死を頭で認識しながらも私は救急車を呼んだ。「父が息をしていない。」そう説明をした。自分で結論付けられなかったのだ。誰かにはっきりと言われるまでは父の死を認めることができなかった。
父の死からもうすぐ10年になる。時間が経過し、リヴァロを食べても、もうあの悪夢を見なくなっているかもしれない、そう思ったのだが駄目であった。私はおそらく、一生食べられるようにはならないのだろう。それは、私が父の死に責任を負っているという思いがあるからに他ならない。そして、そこからは一生逃れることなど出来そうにないからだ。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年10月6日木曜日

Macarons a la ganache/LA MAISON DU CHOCOLAT

フランスから空輸されているというこのミニマカロン。見た目よりずっとガナッシュがたっぷり入っていて満足できるのだ。コンフィチュールのマカロンは無く、全部中身はガナシュというのがここらしいのだが、それだけに、挟まれたガナッシュは流石といった味だ。
そうかと言って、自宅でこの味の再現に挑戦できないわけではない。マカロンもガナッシュも、我が家の本棚にはメゾン・デュ・ショコラ創設者であるロベール・ランクス氏のオリジナルレシピがあり、冷蔵庫には、アーモンドプードルも卵もチョコレートも生クリームもあるのだから。
・・・いや、今晩はやめておこう。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年10月2日日曜日

妻の誕生日



誕生日を迎えた妻のリクエストにより母と広尾のル・スフレでランチ。リンゴとカルバドスのスフレがお気に入りなのだ。ミートパイやキッシュも美味しかった。その後、明治屋とナショナル麻布でチーズや発酵バター、ソーセージなどを物色。銀座和光で、チョコレートケーキでは妻一番の好物ピエールジョゼフを求めた。
特別の日なので夕食にはソーテルヌを開けた。洗うのが面倒なのだがリーデルのこの本来ブルゴーニュ用とされているグラスでワインをいただくのが私は気に入っている。(食器洗いは私の仕事なのだ。)
この日の収穫は最高の状態のウォッシュチーズ、ピエダングロアが手に入ったことだ。このチーズに合わせるのならセーグルノアなどではなく、シンプルなバゲットの方が良かった。ご馳走様でした。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年9月28日水曜日

Othello

今日試したOthelloというネーミングのチョコレートはバニラのホワイトチョコレートとキャラメルのビターチョコレートの2層ガナッシュというのだが、しかし、残念ながらバニラもキャラメルも少しも香らない。・・・それこそが「悲劇」ということか。名誉のために作者の名は明かさないでおくがShakespeareではない。
あと、ふたつ。残るDrageeは、幸福か、健康か、富か、長寿か、それとも・・・。


オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年9月27日火曜日

薔薇のチョコレートのお話

今夜は、銀座和光のトリュフナチュールとドラジェ、さらに新作の自家製ガナッシュまで食べてしまった。今回のガナッシュは煙の上がるほど焦がしたカラメル、生クリーム、フォアローゼズ入り。最近のチョコレートを食べるペースは速過ぎるようだ。気をつけないと。写真をご覧いただこう。フォアローゼズの薔薇の絵のラベル、薔薇のお皿、そして、写っているグラスのブランド名にも薔薇が隠れている。ただし、この話、当のフランス人には通じない。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年9月24日土曜日

自家製ガナッシュ


此処のところ、また私的なチョコレートブームが来ている。9月13日に催されたRestaurant-IでのLA MAISON DU CHOCOLATさんのパーティーがきっかけだろう。来年のバレンタインで発表される数々のボンボン・デュ・ショコラを頂き、フォアグラや白レバーや穴子等とカカオを合わせた実験的な料理を賞味するうちに目覚めてしまったのだ。医者に止められたチョコレート三昧の日々がすでに辛い思い出ではなくなっていた。昨晩はWAKOのボンボンやオランジェットもいただいた。今日は久しぶりにガナッシュを作った。思い立ってすぐなので、ヴァローナやオペラのクーベルチュールは家には無い。材料は森永の板チョコ4枚、バニラビーンズ、生クリーム、自家製のサクランボリキュール、仕上げのバンホーテンカカオパウダー。
混ぜるときはゆっくりと。それを忘れるほど早く食べたかったのだ。断面の気泡がそれを物語っている。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年9月23日金曜日

結婚記念日


結婚9年のお祝いにとっておきの場所で食事をした。テーブルには自社農園の蘭の花。蘭は、百合の雄しべの様にご婦人のドレスを汚すこともなければ、薔薇の様にワインの香りに悪影響も与えることもないのだ。この日、私たちは貸し切りの様に贅沢な時間を過ごすことができた。ブルターニュホロホロ鳥とフォアグラ、豚足と天然茸と魚介の組み合わせ、オックステールをほぐし網脂で包み焼きマロングラッセと濃厚な赤ワインソースと合わせた逸品等を堪能。
実は予約の際、最近白カビのものに凝っている妻のために、支配人様に特別にチーズの講義をお願いしてあった。チーズの参考書片手に丁寧なお話。チーズの美味しさは熟成に由る処が大きいことを思い知らされた。実際、成城石井で買ったものとこちらで頂くのとでは同じ銘柄のチーズでも全くの別物だ。ここは、本物のレストランがどういったところであるべきなのかを教えてくださる。
別に用意されたクリームと一緒に口に含むとねっとりと舌に絡みつくガナッシュの味も最高なのだけれど、私はこちらの無花果のタルトには強い思い入れがある。このタルトをあの時頂かなかったら私の世界は広がらなかったであろう。いつも毒舌気味な私のブログであるが、こちらのレストランには困ったことに不満な点などただの一点も見当たらないのである。あえて申せばどの料理も魅力的で食べ過ぎてしまうということであろうか。妻もそれまでは「もう、これ以上食べられない。」と言っていたにもかかわらず、美味しそうなチーズを見ては目が輝き出し、ワゴンのデセールに至っては全種類のサーブをお願いしたのだから。いや、お恥ずかしい。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年9月17日土曜日

La Maison du Chocolat




私のチョコレートへのクレイジーな嵌りようはこのブログでも過去に紹介しているが、思わぬ急展開を伴い仕事に活かされることとなった。私のコーディネイトする番組にフランスからの素晴らしいお客様を招くことができたのは非常にエキサイティングな出来事だった。ラ・メゾン・デュ・ショコラのクリエイティブディレクターであるジル・マルシャル氏は大変気さくでユーモアのセンスに溢れた方。同氏をお招きしての収録はこの上なくホットな時間となった。InterFMにはこの1回のオンエアのためだけに異例の番組宣伝もつけていただくことができた。この件は同番組への評価として受け取らせていただいている。また、このような機会をいただいたDeRain様, Gilles MARCHAL様、ラ・メゾン・デュ・ショコラ・ジャポン様、ヴィジョン・エイ様、松屋銀座様に改めて御礼申し上げたい。
*お好きな方は是非番組をチェックしていただきたい。
オンエア日時:2011.9.25, 15:30-15:45
放送局:InterFM
番組名:Rendez-vous chez ReeSya

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年7月24日日曜日

息子の誕生日

本日は息子の7回目の誕生日だった。
「元気にすくすく育ってくれてありがとう。」と妻。
「誕生日だと美味しいものが食べれるね、息子よ、ありがとう。」とは私。
テーブルには、パルマの生ハム、礼文の雲丹、北海道のいくら、ノルウェイのサーモン、チュニジアのクロマグロ、ピエールロベルなどフランス産白カビのチーズが3種類、レーズンと水牛のチーズ、息子の好きなレーズンバター、クイニーアマン、バースデイケーキなどが並ぶ。
あれっ?お父さんの誕生日よりも明らかに食卓の内容が良くないか?
写真を見ながら、7年前のことを話した。あの日はお母さんは大変だったのだと。実際、私の時間の感覚が無くなるほど大変だったのだ。とりあげられた瞬間の泣き声などといろいろと話すうち、我々は気がついたのだ。
そういえば、水天宮さんに生まれた報告をまだしていない、ということに。

2011年7月10日日曜日

Rendez-vous chez ReeSya ~ReeSyaの午後のおしゃべり~

 
 皆さんはラジオを聴いていて、例えば宅配ピザのスポンサーのためにDJが「本当にこれは美味しいですね。」とモグモグしながら紹介したりするのを「ああ、これは食べているふりをしているだけだな。」としらける事は無いだろうか。私にはこの手のゴマカシというものが大変気になるのだ。最近、韓国で歌手の口パクは犯罪だという論争が盛り上がったが私もそう思う。
 
 
 さて、本日、日曜日のティータイム午後3時30分、InterFMにて画期的な新番組が誕生する。パーソナリティーReeSyaさんがお茶をしながら、インテリアやアート、またはおしゃれ等の話題でフランスの香りを届けるというコンセプトの番組「Rendez-vous chez ReeSya(ランデブー・シェ・リーシャ)」だ。実は私はこの番組のコーディネートをさせていただいているのだが、この番組にゴマカシは一切無く、本物志向の番組となっている。お聴きいただければお分かりになるであろうが、努力家のReeSyaさんはこの番組のためにフランス語を習得。お茶は、番組にご協力いただいているマリアージュ フレール本部の方の指導の通りに入れ、実際に頂きながらコメントを取っている。ポットから注ぐ時の音やカップとソーサーの触れる僅かな音なども勿論SEなど使わず本物の音だ。
「アピシウス」の一場面(某雑誌より)

 初回放送では、私のお気に入りのグランメゾン「アピシウス」の取締役支配人でいらっしゃる永井利幸さんに駆けつけていただいてしまった。持参のデセールはそれだけを買うことは出来ずレストランでしか味わえない。それらを、お店で実際にお使いの大倉陶園のオリジナルプラチナ彩のお皿に盛り付けていただき金のクリストフルを添えていただいた。焼きたてのデセールのその香りやタルトのクリスピーな歯ざわりがリスナーに届くことを願っている。
 
 見えないラジオでこれだけのことをする意味があるのだろうかと疑問に思う方もいらっしゃるかもしれない。InterFM番組ホームページやReeSyaさんのGREE芸能人ブログの中でも写真などをアップする予定なのでご覧頂く準備はある。だが、一方でラジオというのは見えない分、真実が見えてしまう媒体なのだ。このことを私は最近になって怖いなと感じているのだ。パーソナリティーの言葉は本当に心の中から溢れて言葉になったものでなければリスナーには響かないと思う。いくら感動的な台詞を話してもそれがシナリオだったら、リスナーには「ああ、台本を読んでいるのか・・・」と分かってしまう。嘘を言っても分かってしまうだろう。背景のセットや表情、身振り手振りがない分嘘が利かないのだ。
 
 
 実は、このReeSyaさんの新番組には大変厳しいプロデューサーが付いている。もちろん、リスナーに向けては、日曜日の午後、ゆったりとフランスの雰囲気と優しいおしゃべりを楽しんでいただくという15分の番組ではあるが、実際の初回放送分の収録には2時間以上、編集にはそれ以上を費やしている。その分中身は濃い。是非、お聴きいただきたい。

オフィスプロモ(株)代表取締役 古荘洋光

2011年6月20日月曜日

父の日のプレゼント

父の日の朝、息子が貯金箱をひっくり返している。いくらあるのか調べているのだ。父の日のプレゼントを買ってくれるという。そう言いつつ、妻と息子は出掛けていった。 午後3時過ぎに二人が帰ってきた。息子から私へのプレゼントはスーパーで買ったケロッグコーンフレークが一箱。息子は「これお父さんにね。これ、すごいんだよ、中にポケモンのシールが入っているんだよ。でも、ポケモンのシールは僕のだからね。」と言ったかと思うと、自分で箱を開けてしまった。(あっ、それ、お父さんにくれたんじゃ・・・。)妻はケーキを買ってきてくれた。じつは、私は密かに期待していたのだ。ホールケーキの上に「お父さんありがとう」と書いてあるチョコレート製のプレートを。いやあ、照れてしまうなあ。でも、それは息子にあげることにしよう・・・。「いいよ!父の日なんだからお父さんが食べなよ。」「じゃあ、半分にするか!」などと妄想していたのだが、実際にケーキの箱を開けて見たら、ケーキは丸くなく、そのような飾りはなく、食べたいものをいつものように手当たり次第に買ってきたという感じだった。(妻は自分が食べたかっただけらしい・・・)まあ、父の日なんていうものは、というか、父親なんてこんなものだ。私だって自分の父親にそれらしいことをしてあげられた記憶など無いのだから。 でも、本当は嬉しかったんだ。ありがとう。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年6月18日土曜日

バンコク都記

久しぶりにタイ料理をいただいた。吉祥寺で食べようと思って色々検索したら、吉祥寺にはタイ料理屋さんが数多くあるが『アリムタ食堂』というのがずば抜けている、と書いてある。聞いた事ないなあと思いつつ地図を調べてみると、「何だあそこか~。」いつも行くところじゃんか。う~ん、まあいいか・・・というわけで行ってきたのだ。色々食べたがきしめんを炒めた感じの料理だけは美味しかったなあ。しかし、遠くとも六本木の『バンコク』へ行くべきだった。あそこは本物だから。

タイには想い出がある。学生時代の同級生がタイからの帰国子女でその娘のバンコクの自宅にも遊びに行った。門からスイミングプールつきの住居まで曲がりくねった道が続いていて、両側はまあ日本の感覚で言えば延々と芝生が広がっている。その芝生の所々に男達がしゃがみこんで何かをしているのが見えた。ずっと歩いていって何をしているのかが分かった。芝生を床屋さんが使うような小さな鋏でチョキチョキと整えているのだ。私には芝刈り機ではないその小さな鋏が衝撃的に映った。部屋へ通されて冷たいお茶をお手伝いさんが運んできてくれた。同級生は「ありがとう」とも言わない。そして、我々二人の前を通るときにお手伝いさんは膝を擦るようにして横切るのだ。私はその様子を大変気分を悪くして見ていたが、ついに耐え切れず同級生に向かってこう言ったのだ。「あんなことをさせるな。君はそんなに偉いのか。女王にでもなったつもりか。」と。 実は、横浜の貿易商だった私の母方の祖父の家に「おさくさん」というお手伝いさんが居た。おさくさん専用の部屋もあった。彼女は家族の一員ように大切にされていた。決して召使のような扱いはされていなかったのだ。それで、私は余計に頭にきたのであった。

さて、その後、バンコクで同級生のその娘と話しをし、正にカルチャーショックを受けた。私こそ何も分かっていないというのが彼女の言い分だったのだ。もしもお手伝いさんに良かれと思ってフレンドリーに接してしまったら、彼女に間違った習慣を植えつけてしまう。すると、彼女は他所で雇ってもらえなくなりその後の人生において生活できなくなってしまうのだ。また、庭の手入れ用に芝刈り機を買い与えてしまったら仕事がすぐに終わってしまう。今のままの小さな鋏であれば何人もの男たちが仕事として1年中この家の芝だけを整え続けることが出来るのだ。タイの上層の人々はそうした下級階級の多くの人々の生活を支えることに責任を持っており、そうした強い意識を持っているのだ。まだ学生だった私は何も知らなかったのだ。日本人は階級とかクラスについて何も知らない。日本人の誰もが平気でパリのエルメスやシャネルのブティックへ入って行く。私も人のことは言えない。この旅行中、THE ORIENTAL BANGKOKのle Normandieでネクタイを着用していなかった私はこのフレンチレストランが用意しているおのぼりさん用の貸しネクタイのお世話になったのだから。

しかし、この五つ星ホテルの前に陣取っていた屋台の鶏の足先(指)の照り煮は実に美味かったなあ。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年6月4日土曜日

コーヒーの淹れ方

ペーパーフィルター、フレンチプレス、スイスゴールドフィルターなどなど。色々試しましたが今はこの方法に落ち着きました。ドリップ式ではこの方法をお勧めします。
ヤフオクで100円で落札させていただいた龍文堂製。鉄瓶で湯を沸かすとまろやかな味になるような気がします。ステンレスケトルほど少しずつ注げないのは残念なところではあります。綿100%の布を使います。これが重要です。ネルではなく平織りをお勧めします。写真の布は医療用のコットンを丸く切り抜いたものです。ペーパーフィルターは木の匂いがするし、きめが細かすぎる。ネルは使用に煮沸や水に浸したうえでの冷蔵庫保存など手間がかかり過ぎますが、この布ならお湯で手洗いして干すだけです。平織りですからすぐに乾きます。もちろん、ネルで言われるような嫌な匂いは皆無です。
豆はお好みで、ただし、コーヒーを淹れる直前に手で挽きます。自分で生豆からの焙煎もやりましたが、台所が飛び散った薄皮で汚れますのでやめました。手で挽くと、電動機械の高速回転と違い熱が発生しないと言われますが、家に電動機械が無いだけなのです。この儀式が期待を高めるのだと思って頑張って挽きます。挽き立ての良い香りはいつでも幸せな気持ちにさせてくれます。因みに薄皮を取り除く効果はそれほどありません。私は、焙煎後の豆をぺティナイフでひとつひとつ割り、中のシルバースキンをすべて排除したことがありますが、苦労ほどの成果はありませんでした。(シルバースキンだけでお湯を注し、どんな味になるのかもやってみました。)まず、豆抜きでお湯を通します。器具が温まり、コットンも湿らせることができます。カップも温めておきます。次に豆を、湿らせたコットンの中に入れたら、今度はなるべく少しずつ雫を垂らすようなつもり豆全体を湯で濡らします。よく、蒸らしといわれる作業です。(私はこの蒸らしだけを温めた赤ワインでやってみたこともあります。)下からコーヒーの最初の一滴が落ちたらそれ以上は湯を注さず暫く置きます。30秒ほど経ったら、豆より上にはお湯を溜めないつもりで、ゆっくり、じっくりと入れます。一気に入れると何故か渋皮のような匂いばかりがします。ここでは、急いでも得られるものは何一つありません。さあ、コーヒーが入りました。写真はどちらもデミタスカップです。手描きのアウガルテンの絵付けは明らかに柿右衛門の影響を受けています。アウガルテンは独身時代の妻からのプレゼントですが、今は何故か主に妻が使っています。大倉陶園のカップは結婚祝いに母から(母は祖母から)譲り受けたものです。いずれにしてもたくさんは抽出しないことです。その理由はたっぷり抽出している最中にちょっと別のカップに抽出途中のコーヒーを入れて味見をすればお分かりになるはずです。たっぷり飲みたい時、私は丁寧に入れたコーヒーに沸かしたてのお湯を注しています。と言っても、あまりやらないですが。表面に浮いた油分。えっ?不味そう?いや、これがコクと旨味には必要なのです。ペーパーではこれが出せません。エスプレッソではこれが100%味わえます。ですから、どんな入れ方をしたところでドリップは、正直、エスプレッソには敵いません。 コーヒーを注ぎ終わったポットの底にはこれ位(もやもやと)コーヒーの微粒子が残ります。決してざらざらとはしません。巷ではスイス製のゴールドフィルターの評価はすこぶる高いですが、私にはざらついた口当たりがとても耐えられません。 紙は臭う。ネルは手間がかかる。フレンチプレスは論外。紅茶ならまだしも、あれをコーヒー器具として売るのはいかがなものかと。ゴールドフィルターもざらつく。どの方法にも欠点があるのです。一方、平織りのコットンは、油分やコクが充分残り、まろやかで深い味わいのコーヒーを引き出します。ドリップでしたらこれが私の一番のお勧めの方法です。


豆にもいろいろあり、ほとんど試しましたが、正真正銘本物のコピルアク があるのなら是非一度飲んでみたいですね。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年5月31日火曜日

夫婦喧嘩の後には





もし、こんな顔をして、夫婦喧嘩をしてしまったら・・・





















































翌日、男は妻に花を買ってくる。






















































お菓子も買ってくる。










































それに、息子が公園で滑り台で遊びたいといったら、


嫌な顔ひとつせず一緒に遊ぶのだ。




























たとえ、その日が台風であったとしても。
















































「これが家族サービスというものだ。これで、昨日の喧嘩はチャラだ。」
















































そう思っているのは男のほうだけなのかもしれないが


























少なくとも、男の気は晴れるのである。


オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年5月15日日曜日

野蒜

今日は風が強かった。日差しも強い。いつもの散歩道。土手の上の真っ直ぐな土の道を歩く。視線のずうっと先に欅の大木が一本、空に伸びている。新緑が眩しい。散歩道でこの風景が一番気に入っている。今日は向かい風が強く、ザザザー、ザザザーと梢を揺らす風の音がする。若かった頃、深夜ひとりでハワイの波打ち際で聞いた波の音を思い出す。真っ暗な中、ザブーン、ザブーンと左の彼方から順を追って波が砕ける音が近づいてくる・・・そして私の前を越えて、今度は右の彼方へと続いて行く。目を凝らすと砕ける波だけがかすかに白っぽく見えた。私は飽きずにそれが一定の間隔で何度も繰り返されるのを聞いていた。ずっと昔から繰り返され、この先もずっと続いていくのだろうと考えた。
欅の木の上方から、桜吹雪のように何かがくるくると舞いながらこちらへ飛んでくる。拾って見ると、風で千切れた枝葉だ。落ちる先の日当たりの良い土手には野蒜がたくさん伸びている。野蒜を教えてくれたのは植物の写真集などを手掛けていたカメラマン氏だった。ある時、ロケ中に足元のただの雑草にしか見えない葉っぱを抜いて球根を見せ、味噌をつけて食べるのだと教えてくれた。こんな足元に食べられる野草が生えているのか、と驚いたのを思い出す。かじってみたらニンニクの様な味がした。教えてくれたあの時と同じだ。ただ、カメラマン氏は今は居ない。欅の大木を越えあと小一時間も歩けば彼の眠る霊園に着くけれど、膝が少し痛むので今日は止めておこう。ごめんね、川辺さん。欅の大木で折り返すと、鶯の谷渡りの声が聞こえてきた。谷渡りというのだと教えてくれたのは亡くなった祖母だ。ああ、行きには気がつかなかったけれど桑の実がもういっぱい成っているんだなあ。紫陽花の花も。無花果も。どれも未だ緑色をしているから分からなかった。暫くするとまた梅雨の季節がやってきて一斉に色づくのだろう。季節は廻る。命も巡る。何もかも、あっという間だ。子供の頃は自分の命は永遠に続くような気がしていたけれど。

明日は、また喪服を着なければならない。それにしても、素晴らしい人が早くに亡くなるのは何故なのだろうか。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年3月20日日曜日

救援物資

今日、兵庫県から宅急便が届いた。
そう言えば、妻が、
「私は『なんにもいらない。』って言ったんだけど、友達から『やっぱり送った。』って電話があった・・・」って言っていたなあ。
重いダンボール箱が二つ。
開けてみると、5キロのお米がそれぞれの箱の底に入れてあって、ほかに、パン、ティッシュ、手造りのイカナゴのくぎ煮、ブロッコリー、リンゴ、人参、ジャガイモ、タマネギ、スパゲッティー、カレールーやミートソース、インスタントコーヒー、インスタント味噌汁、ちらし寿司のもと、チョコレートなどのお菓子、亡くなった義父へのお供物・・・。

涙が出た。

そもそも家は何も不自由していないのだ。
出掛けている妻の携帯に報告した。
受話器の向こうで、妻も笑いながらも泣いていた。

電話の後、箱の中に書付けが入っていることに気づいた。
『イカナゴを慌てて炊きました』という文字が目に飛び込んで来た。
妻は何と良い友達に恵まれたことか。
胸が熱くなる思いだった。


オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光