2009年5月14日木曜日

野沢菜とフレンチとナイフのお話

今宵の食卓に野沢菜の漬物があった。
野沢菜は4歳の息子の好物なのだが、今晩いただいたものはいつもと違う。さっぱりと、あっさりとしていて、変な甘さが無い。原材料を見ると野沢菜・塩、以上であった。なんと簡単なレシピであろうか。それでも発酵により味に塩以上の複雑さができる。しみじみと旨い。今の世の中、原材料欄を見るとなんだかわからない成分の表記がズラリと並んでいるものばかりで、かえってこういった食べ物が贅沢かもしれない、とも思う。

フレンチはもともと新鮮な食材が手に入らなかったため、あの手間暇かけた複雑なソース中心の料理が発達したという。現在バターと生クリームこってりのフレンチは敬遠され、イタリアンなのか何なのかよくわからないフレンチばかり(恵比寿のロビュションもしかり)であるが。一方、和食は素材の味を活かす料理といわれるが、どうなのだろう?結果そうなってはいるが、私は日本人と欧米人は根本的に何かが違うと思っている。

日本の包丁と欧米のナイフを比べてみよう。包丁は片刃だ。柄は角ばっていてまっすぐだ。それでは、ナイフはどうだろう。両刃だし、時に刃にぎざぎざの切り込みがあったり、親指を添える部分には滑り止めの刻みがある。グリップには4本の指でしっかり握れるように指のアーチがデザインされている。ラブレスのナイフのブレードには女性の裸婦像までデザインされているじゃないか。

日本の白米と欧米のパンを比べてみよう。白米はお湯で柔らかくして米粒の形のままを食べる。パンは麦を粉にして、砂糖、塩、イーストなどを混ぜる。発酵させる。こねる。形を整える。焼く。スライスする。そして食べるのだ。

着物と洋服はどうだろう。着物は真四角の生地のまま仕立てる。洋服は体に沿った型紙を作り、立体裁断をした生地を縫製している。

私が言いたいのは、日本人は思考が単純、欧米人は考え抜いているということだ。何が違うのだろう。脳の構造が違うのだろうか。包丁とナイフ、白米とパン、着物と洋服、それらを比較してみると欧米の方が考え抜かれ、より複雑なモノが出来上がっていることは間違いない。

ただ、間違えないでほしいのだが、私は欧米の方が優れていると言っているわけではない。実際、野沢菜の漬物と銀シャリがあれば私は幸せなのだから。
(妻の名誉のために野沢菜は数あるうちの一品だったことを補足しておきます。)

今日の体重61.5キロ。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光